七戸黙徒

七戸黙徒(しちのへ もくと)

本名・七戸平吉
1890年(明治23年)2月9日 –1933年(昭和8年)5月13日

層雲同人として活躍。
荻原井泉水が「北の北海道には七戸黙徒のごとき大きな星もあった…」と述べるほど、北海道を代表する自由律俳人だった。
句集に「父を打てや」がある。

代表句

・死人に着せし米俵の米がこぼれたり
・貧しき父を馬にして勇めるぞ吾子は
・蟹工船に乗込む雪をかじっている

略歴

北海道岩内町にて出生。
北海道札幌師範学校本科第一部を出て、教育職につく。
室蘭市威徳高等小学校訓導、上磯郡茂邊地小学校訓導兼校長(昭和2年)、浦河小学校訓導兼校長(昭和6年)等を歴任。
女子教育の重要性を主張し、浦河高校の前身である浦河町立実践女学校の設立に奔走した。
室蘭市日本製鋼所病院にて43歳で逝去。
浦河小学校で校葬が行われた。

参考文献